音で感じるプログラム「羽田美智子が綴る、交響詩の世界」
当日演奏いたします各楽曲説明を、公演台本より転載いたします。
《ご挨拶》
今日は、言葉と音楽というテーマで、言葉の存在があることで音楽作品の理解がより深まり楽しんでいただける名曲の数々皆さまにお送りしたいと思います。
素晴らしい演奏を聴かせてくれるのは東京室内管弦楽団の皆さんです。
そして、指揮は橘直貴です。
モーツァルト歌劇「フィガロの結婚」序曲
最初に演奏致します「フィガロの結婚」は、天才モーツァルトが書いたオペラの中でも最高傑作の一つに数えられるものです。歌劇といわれるオペラですが、この「フィガロの結婚」は、モーツァルトが当時の貴族社会を鋭く風刺した内容の喜劇です。お城で働く召使いの女性の結婚初夜を共に過ごすという「初夜権」を何とかして行使しようとする伯爵、それを阻止したいフィガロとその許嫁のスザンヌが機知に富んだ作戦を張り巡らして伯爵をとっちめる、というお話です。
今日聴いていただく序曲は、そんな劇のドタバタを予感させるような心くすぐる音型によってスタートします。”さぁさぁ皆さん、ご静粛に!楽しい物語が始まりますよ!”と言わんばかりに。音楽は目まぐるしく表情を変え、明るく快活に進みます。楽譜の最初にはプレスト、という速度表記がモーツァルトによって書き記されていますが、これはエスプレッソ、プレスするという言葉と同じ語源を持つ、あたかも押し出されるような疾走感を伴った速さを示しています。幕開け前にオーケストラで演奏され、オペラの楽しさや素晴らしさ予感させるこのが序曲というもの。作品の持つワクワク感を、是非生演奏で感じてみてください。
シベリウス交響詩「フィンランディア」
次に聴いていただくのはフィンランドの作曲家、シベリウスが書いた交響詩「フィンランディア」です。
ロシアによるウクライナ侵攻は今も続いています。かけがえのない人間の命がいとも簡単に奪われるという不幸な出来事が未だ続いていることに心底心が痛みますが、この地球上の国々では、常にやるかやられるか、取るか取られるかという、イデオロギーや利害関係の対立、はたまた宗教的な争いを常に生んできました。シベリウスが生まれ育ったフィンランドもロシアと陸続きであったため、ロシアの侵攻を受けたり支配されていた歴史がありました。自分の生まれ育った国を愛する気持ちは、洋の東西を問わずどこの人たちにも共通しているのではないでしょうか?そんなロシアの圧政に苦しむフィンランドの人たちの心の声を曲にしたのがこれから聴いていただく交響詩「フィンランディア」です。
最初に鳴り響くのはフィンランドの民衆の呻き声。それは常に重苦しい足取りで、作品を聴く人たちの気持ちを不安に陥れます。その後、曲は闘争ともいえる激しい部分に差し掛かります。これまで休んでいた打楽器も加わり、ぐいぐいと前に進むエネルギーは、勝利への渇望と幸せを求める気持ちの表れでしょう。盛り上がりが一旦落ち着くと、そこには清らかでとても美しい旋律が聴こえてきます。この旋律には後に歌詞が付けられ、フィンランドの第2の国歌ともいわれるようになりました。
歌詞の中ではこのように語られます。
「おお、Suomi(スオミ=フィンランド国民の自称)。汝の夜は明けゆく、闇夜の脅威は消え去り、輝ける朝に雲雀は歌う、それはまさに天空の歌。夜の力は朝の光にかき消され、汝は夜明けを迎える。祖国よ。
おお、立ち上がれSuomi、高く掲げよ偉大なる記憶に満ちた汝の頭を、おお、立ち上がれSuomi、汝は世に示した隷属のくびきを断ち切り抑圧に屈しなかった汝の姿を、汝の夜は明けた。祖国よ。」
この上ない美しい中間部を終えると曲は再び活気を取り戻し、フィンランド人の誇りと勝利を示すように最後は明るく、そして喜びに満ちたファンファーレと共に力強く曲を閉じるのです。
ムソルグスキー=R.コルサコフ編「禿山の一夜」
演奏会前半最後には、ムソルグスキー作曲の「禿山の一夜」を聴いていただきましょう。
日本では冬至にはゆず湯に入ったりカボチャを食べたりという習慣がありますが、夏至には特に大きな習慣はありませんね。対して、キリスト教の国々おいての夏至の日は、聖ヨハネの日の前夜祭として多くの行事があります。ヨハネとは、イエスの弟子のヨハネではなく洗礼者のヨハネの方です。この夏至の日には火を焚くのが習わしです。何故かというとこの日を境に日が短くなるので、火を焚くことで太陽を元気づけようという意味があるようです。そしてこの日の夜はたくさんの魔物が出てきて大騒ぎをする、という言い伝えが古くからあります。実はこの夏至の日の出来事は、シェイクスピアも「真夏の夜の夢」の戯曲の題材として取り上げましたが、ムソルグスキーは、この夜の出来事を彼独特の荒々しいオーケストレーションで表現しようとします。作品は魔物たちが山上の空を飛び回るようなざわついた音楽で始まります。そして、荒々しい低音やティンパニといった打楽器も地響きのような音を立てて加わっていきます。これは死神のチェルノボーグが手下の魔物や幽霊たちと大騒ぎの宴を繰り広げる情景を表します。夜通し続くこの大騒ぎは、夜明けと共にこの死神や魔物たちが去っていくことで終わりを告げます。ドラマチックで描写的なこの音楽は、ディズニーの映画、ファンタジアにも取り上げられました。
本日の演奏会第2部に先立って
本日の演奏会後半は、スメタナの作曲した「わが祖国」を楽しんでいただければと思います。
ところで、今日のテーマは言葉と音楽です。絵や彫刻ならば作品を創った人と鑑賞する受け手が直接作品を通して向き合うことができますが、音楽は楽譜の存在があります。演奏者と楽譜があってその音楽が鑑賞者の元に届くのです。演奏者にとっての楽譜は台本のようなもの。つまり、演奏者たちはこの楽譜を言葉のように読んで、そこに書かれてあることの裏側を読み取って音にするのです。従って楽譜という台本は、その良し悪しも含めてとても大事なものです。特に、その作品が産み出されてから数百年もの月日が流れている作品は、作曲者以外の第三者によって手が入れられ、時には変更が施されていることがあります。何故ならば、楽譜という台本は、常にその時代を生きる人たちにとって一番使いやすいことが大切な要素だからです。しかし20世紀後半から、作曲家が生きていた時代に彼らの頭の中で鳴っていた理想の音を再現しよう、そのために後世の人々による脚色を極力排して作品を素の状態に戻そうという動きが出てきました。これは演奏法といった技術や、演奏者の意識だけではなく、楽譜という演奏者にとって台本にあたる大切な楽譜の整備も同時進行することによって実現できました。
今日これから聴いていただく「わが祖国」も、後世の人々がつけた手垢というべきものを取り払った校訂版を使用します。本日取り上げる楽譜の出版社によるこの校訂作業は現在も続いており、全部で6作から成るこの「わが祖国」は、現時点では最初の4作までしか出版されていません。従ってこの最新の校訂版で演奏できるもの「高い城」「ヴルダヴァ」「シャールカ」、そして「ボヘミアの森と草原より」までを今日はお楽しみいただきます。
チェコの作曲家スメタナは、祖国への愛情を表現するために、チェコの美しさを象徴する自然や景色を題材にした交響詩の作曲を思い立ちます。やがてこの構想は、自然のみならずチェコの歴史、神話へと及び、チェコという国の存在を象徴する一大叙事詩へと膨らんでいきます。
スメタナ交響詩「わが祖国」より
「ヴルダヴァ(モルダウ)」
ドイツ語で「モルダウ」と読むこの河の名の通り、日本ではもっぱらモルダウと親しまれてきましたが、チェコ語の発音により近いのは「ヴルダヴァ」です。チェコの人々が心を寄せるこの河の流れを、人の一生に例えてスメタナは表現しようとしました。ボヘミア地方南部の森に源流を発するヴルダヴァ河は、温かな水、冷たい水の2つの流れから始まり徐々に水嵩を増し、一つの川として合流します。スメタナはこの様子を実に巧みに絵画的といえるやり方で描写しました。
M2.冒頭〜24寸演(Tutti)
ヴルダヴァ河は森の中を抜け、狩人たちの間を通ります。一旦音楽が静まると、岸辺には農民の婚礼の場面が現れます。軽快で民族的なダンスを踊る人々の喜びに満ちた表情が見えるかのようです。陽が落ちて空が暗くなると水の精が踊り宙を舞います。流れる水は永遠に過ぎゆく時間の象徴、とチェコの人々は考えたようです。チェコの作曲家に水を題材にした作品が多いのはこのためでしょう。妖精たちが去った後、ヴルダヴァ河は急流に差し掛かります。聖ヨハネの早瀬と呼ばれる渦を巻く激しい流れはやがて大河となり、ヴィシェフラトの「高い城」の大岩を通り過ぎて壮大に終わります。
「シャールカ」
「ヴルダヴァ」が自然をモチーフにした作品だったの対して、「シャールカ」とはプラハ北東にある谷の名前のことですが、実は更にこの名前の由来は、男女が死闘を繰り広げたというチェコの伝説、乙女戦争に登場する女戦士の名前です。まずはシャールカの復讐の動機により闘いの様子が激しく描かれます。ツチラトという男戦士、その配下たちたちとの闘いの中、シャールカはある日、自分の体を木に縛りつけて、苦しんでいるように芝居をするのです。シャールカが泣いている様子は、クラリネットにより演奏されます。
M3.77〜83を寸演(クラリネット)
ツチラトの配下たちによって縄を解かれたシャールカは、ツチラトに偽りの愛を告白します。愛の場面の音楽はとても甘く切なくツチラトはその熱にすっかり浮かれてしまいます。助けてもらったお礼にとお酒を振る舞うシャールカ。やがて盛大な酒盛りが始まります。お酒に酔ってすっかり気の緩んだツチラトと男戦士たちは、いびきをかきながら寝てしまいます。
M4.145〜152を寸演(Tutti)
男たちが寝静まり音楽が静かになった頃、シャールカによる攻撃の合図が鳴ります。密かに忍び寄っていた女戦士たちが一斉に男戦士たちに襲い掛かります。ツチラトは捕虜となり、彼の配下たちは皆殺しにされてしまいました。
「ボヘミアの森と草原より」」
ボヘミア地方の風景をじっと眺めてみたら思い起こされるような多くの感覚や感情が、この曲の中では惜しみなく描かれているかのようです。次から次へと聴こえてくる歌の数々は、聴き手の皆さんの想像を自由に羽ばたかせて楽しんでください、というスメタナのメッセージに他なりません。波打つような動機で始まる冒頭は、ボヘミアの深い森の木々のざわめきを表しています。ドゥムカというウクライナの民謡が聴こえ、ボヘミアの歌やドイツ風の歌も聴こえます。やがて歌は踊りへと移ります。ポルカが始まるのです。徐々に曲は盛り上がり、波打つような動機が再び現れ最後にドゥムカが回想されます。