本日も「フィラルモニカ・マンドリーニ・アルバ・サッポロ」(以下、FMAS)2017年の演奏会にようこそお越し下さいました。

 私自身、札幌に生まれ育ち高校時代までを過ごしました。私にとってここは故郷、心の拠り所です。現在も両親が住み、弟妹の生活の場所でもあります。私は、札幌よりも現在住む東京で過ごした時間の方が長くなりましたが、どんなに長く住んだとしても自分は東京人だという感覚はなく、根っからの道産子、札幌の人間なのです。

 何かのアイディアを形にする時に、どのようなセンスを持ってして成し遂げるのかということにおいて、同じ日本といえども地域による差異は少なからず存在するようです。私が日々お仕事で様々な地方に行かせていただき、地元の方々と接しているとその違いを肌で感じることができます。県民性、などどその違いを面白がるのも頷けます。地域の特色を作るのは、土地、気候、食べ物、その土地の歴史であろうと思います。それらを総称して風土というのかも知れませんが、気候はやはりそこの土地の人々の気質に対して大きく作用するようです。

 札幌、いえ北海道の方々と括ってもよいのでしょうか、土地の広さ、また気候の厳しさなどから大らかというキーワードが当てはまるようです。大らかさと寛容性、これは確かであり、何かのアイディアを一つの形にするやり方、そのセンスの良さも札幌や北海道の方々には備わっているようです。理由は言葉では説明できません。一方で、新しいものを受け容れるということは、意外にも苦手のようです。そこには寛容さとある種の閉鎖性が同居しているようです。

 私が子供の頃言われて育ったのは、札幌には新しいものを受け容れる気質がある。何か新しいものやことは、まず札幌で試してその反応を見ることでそれが全国に展開できるかどうかのバロメーターとなる、ということです。私自身子供の頃このような話を聞きながら、故郷の特徴に誇りを抱き、長らく北海道をそのように観てきました。でも、人生の中でいろいろな試みを仕掛けていく中で、札幌、ひいては北海道にそのような気質はあまり存在しないのではないかと思うことが幾度となくありました。もちろん、他の地方と比べた場合に閉鎖的といわれる度合いは少ないのかも知れません。またそこには思い入れのある土地という期待値も乗っかっている筈で、愛と憎しみが混じるの例えではないものの、単純に判断できない部分もあることは事実です。

 FMASとして、今年4回目の演奏会を迎えます。何か新しいことを、との思いで始めた「ムジカ・クラシカ・T」が10年ほど続き、ある時期FMASというものに改称されました。核となるメンバーも時を経て徐々に変わって参りました。時代や周囲の環境によってその在り方や立ち位置も微妙に変化せざるを得ないのでしょう。

 クラシック音楽に携わる者は、新しいことをしているのでしょうか?その答えは、半分正解でもう半分は否でしょう。再生音楽と言われるクラシック音楽とは、基本的には過去に書かれた音楽を再生することです。現代においては、作曲者が生きていた時代、もしくは作曲者のイメージに近付けて演奏することがよい演奏、正しい演奏と言われます。そのための原典版といわれる楽譜の出版や普及、また作品と作曲者の研究が日進月歩で進んでいます。当時の正しい趣味、作曲者のイメージを掴み取りなるべく忠実に作品を再生し、そこに私たち演奏者なりの個性を反映させていくことが、演奏者に課せられた使命であり仕事であります。

 古いものへの憧憬や探究心というベクトル、一方で現代に生きる私たちがそれを蘇らせ、次の世代に引き継いでいくベクトル、これらは一見正反対に位置するようでいて、一本の線で繋がれております。アウトプットする楽団、それを受け容れる社会が必要です。その意味でも、メンバーの方々が新しいお客さまを開拓していかなくてはいけません。お客さまに向かって何かを発信しようという強い志が必要でしょう。そのような意識を持つということ、それをこの地で継続していくことの意味と意義を、先ずはメンバーの皆さんが共有すべきです。

 FMASに限らず、マンドリンオーケストラのメンバーの皆さんは、その殆どが自らの生活の糧の外でのオーケストラ活動でありましょう。つまり、オーケストラなりアンサンブル活動に参加される皆さんは、自分で参加費を支払って演奏会に参加する。その中で本番の演奏を終えるまで、徹底的にお客さまの方に向くという意識を保てるかということ、お客さまに何を伝えられるかということを考える、このことはとても大切なことです。

 自分たちの演奏に自信が持てれば自ずと集客にも力が入ります。もちろん、演奏者や楽団の名前だけで完売するものも世の中には多々あります。それはそれで羨ましいことですが、大半のものはそうではない。その時に、出演者たちがどのくらい自分の演奏会を人に聴いてもらいたいと思えるかどうかです。つまり、自らお客さまを集めるということは、自分たちの演奏に責任を持つということ。その意識を持てるかどうか、ということが問われています。

 そしてこれは、クラシック音楽業界における一つの課題でもあります。演奏者は自分たちの演奏に集中したい。しかし、お客さまが来ない演奏会は成り立たない。自分たちの演奏に誇りを感じて自信を持って集客をする。ただそこには、それを聴きたいと思う絶対的な人数がどれだけあるか?関東や関西の大都市圏ならばいざ知らず、地方でそれを浸透していくのは至難の技と思われます。でもだからこそ、地方でしか成し得ないこともあると私は考えます。

 札幌という街は、新しい胎動へ関心が不足しているとは思いません。良いものには反応する良いセンスがあります。良いものを表現する良いセンスもあると書きました。それらを最大限活かしていくことです。大袈裟に申せば、参加するメンバーの皆さんとは、北海道のみならず日本のマンドリンオーケストラの世界を良くしていこうという志を持ちたいと考えます。私を取り巻く人々にそのような意識を持ってもらえるようにすることが、私に課せられた使命です。演奏に携わるメンバー、そして聴きに来て下さるお客さまに対しても、私たちが楽しくて心地よい演奏や演奏会を提供することによって、マンドリン合奏、そしてオーケストラの魅力を伝える、これはある意味立派な教育であろうと思います。地道ともいえる活動や意識を高める作業をこれからも継続して行って参りたいと思います。

 偉そうに書いておりますが、私自身これまで以上に自分の勉強の足りなさを自覚して、日々いろいろな勉強を重ねております。長い緩やかな上り坂を歩いているようなもので、時々登っているのか分からなくなるような気の遠くなるような長い長い一本の道。

 コンサートマスターとして日本を代表するマンドリニスト、柴田高明さんを今回もゲストコンサートマスターとして京都からお迎えすることができました。そして、トレーナーとして札幌のギタリスト、吉住和倫さんが日々の練習において密度の濃いトレーニングをして下さる環境が整ってきました。関東、関西や北海道の各地方から今回の演奏のために駆け付けてくれるありがたい仲間の存在。そのような人の繋がりに感謝しつつ、今日も音楽の楽しさと素晴らしさをお伝えできるようメンバーの皆さんと共に在りたいと思います。

 上述した内容には私の身勝手な思い込みや偏見が多々含まれることと思います。もしもご不快な思いをさせてしまいましたら心よりお詫び申し上げます。最後までお読みいただきありがとうございました。今日も最後までごゆっくりお聴き下さい。

2017年2月25日
指揮者  橘直貴