ある作品の書かれた背景を知ることは、その作品の愛好者に聴く楽しみを膨らませてくれるもの。そして、作曲者が頭に描いたイメージや思いに思いを馳せることは楽しいものです。
 さあ皆さま、想像の翼を広げてみましょう!

 天才であればこそ、自作に完璧を求めるものでありましょう。実際に、自身の作品を生涯コツコツと推敲したり、初演をきっかけに多くの改訂を施す作曲家は、音楽史上多く見られます。実はメンデルスゾーンもその一人でした。

 メンデルスゾーンは1832年に交響曲第4番「イタリア」を書きました。それは翌年の1833年にロンドンで初演されましたが、メンデルスゾーン自身は、作品の出来栄えに満足していなかったようです。その後、再演の機会に際して彼は、大幅な改訂を施そうと思い立ちます。しかし、その時既にスコアの版権は初演を依頼した財団と初演した指揮者の元にあり、メンデルスゾーンの手元にはありません。もちろんコピー機やファックスなどない時代のお話ですから、何と彼は記憶を頼りに改訂版の筆を起こします。そうして出来上がったのが1834年版というものです。第1楽章以外は楽器編成も含めて随所に違いがあります。何故、第1楽章以外と書いたかというと、第1楽章は、手を入れ始めると作品の構造自体を変えなくてはいけなくなるから、とメンデルスゾーン自身が改訂そのものを途中で断念した経緯があるようです。

 メンデルスゾーンが何を意図していたのか、そして初演版に対して、何を不満と感じていたのか、私たち演奏家はそれぞれの音符が発するメッセージに心を澄ませ、知識と感性を総動員して読み取るのです。しかしこの話には更にその先があります。それは、その後数回に渡るこの作品の再演の際に、メンデルスゾーン自身が指揮をした演奏会があるのです。その時にどの版が使われたかという証拠は残っておりません。また、この作品の出版は作曲家の死後に行われています。つまり、作曲家が初演版に改訂を施して作った最終版が、私たちが現在慣れ親しんできた「イタリア」であるかもと知れないという推論だって成り立つのです。そういう意味で、この作品には本当の意味での決定稿は存在しないということになります。私たちが、今回の演奏会でこの作品をメインプログラムとして位置しなかった理由はここにあります。

 今回の演奏会では、このメンデルスゾーンが1834年に書き起こした改訂版を取り上げます。現在初稿版といわれる、私たちが耳馴染じみ親しんできた「イタリア」を知っている方々には、この改訂版には随所に新鮮な驚きがあることでしょう。「イタリア」を知っている方ほど楽しめるでしょう。逆に、私たちの演奏で初めて「イタリア」という作品に触れる方々も、お家に帰られてこれまでの「イタリア」との聴き比べをしていただくのもよいでしょう。

 どの版がよいか、ということではなく天才メンデルスゾーンの自作への執念ともいえる情熱、仕事ぶり、そうしてできた同曲異版、これらは二つとも紛れもなくメンデルスゾーンの仕事であり作品です。このような版の出版によって私たちはメンデルスゾーン作品の魅力を違う一面から掘り下げることができますし、聴いていただくお客さまにとりましても、聴く楽しみや選択肢が増えるというのは、幸せなことではないでしょうか。

 この文章を読んで下さっている皆さま、当日は会場に足をお運びいただきまして、メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」1834年版、ラヴェル作曲「クープランの墓」、プロコフィエフ作曲交響曲第1番「古典」の演奏を、私たち東京室内管弦楽団の情熱溢れる演奏で是非お楽しみ下さい。
 お待ちしております!

2017年4月9日
指揮者  橘直貴