全日本高等学校ギター・マンドリン音楽振興会、朝日新聞社が主催する、令和8年度全国高等学校ギター・マンドリン音楽コンクールの審査員を初めて務めさせていただきました。この前身はフェスティバルとのことでしたが、55年という長きに渡る運営、継続をされてこられた振興会の皆さま、朝日新聞社には心からの敬意を表したいと思います。マンドリン合奏文化を下支えされてこられたこの催し物の意義は、たいへんに大きなものだと感じます。
 

 8月1日と2日、全国から57の高校の生徒さんたちが集まり、2日間に渡る熱演の数々が繰り広げられました。直前に1校の出場辞退があったことは残念でしたが、どの学校の生徒さん達もそれぞれの持ち味を活かし、集中力の高い演奏を聴かせて下さいました。コンクールである以上どうしても評価や順位がついて回りますが、そのことで皆さんが積み重ねてこられた時間や努力に優劣があったり、否定されるものでは決してありません。音楽は本来、スポーツのように結果がスコアとして現れたり数学のようにたった一つの答えが導き出されるものではなく、何が正しいかという基準も存在しません。審査をしておきながらですが、あくまでも結果は時の運、一つの通過点に過ぎませんし、一生答えの出ない結論を追い求める長い長い道のりこそが音楽ともいえます。あの時、出場した生徒さん達が奏でた音が、聴く人たちの心に何らかの印象を与え残した、こちらの方が審査員からの評価や結果よりもよほど価値あることと考えていただいてよいかと思います。
 

 例えば演奏者が10人の学校と100人の学校では音の厚みも音圧も異なります。加えて課題曲、自由曲という括りがなく各学校が自由曲1曲という規定の中、バロック時代から現代のものまで、その作品が表現しようとする内容も様々で、聴き映えや作品の持つメッセージが本質的に全く違う曲を一つの物差しで審査することは、初めて審査をさせていただく中で私が最も戸惑った点ではありました。また、マンドリンオーケストラのみならずギターだけのアンサンブルもあり、そこには全く違う編成や響きのものも含まれていることで、同じ点数の付け方でよいものかどうか迷った場面もありました。
 

 審査する基準はなるべく明確に、且つ公平にしておくのが、誰から見てもその結果に納得感が出るところです。が、その意味においてまだ改善の余地があるなと感じた中で、以前からお話が出ている学校間の出演者数の偏りについては、特に難しいところだと感じました。私自身はマンドリン合奏において人数が多いからよい、ということは絶対にないと考えています。寧ろどのような編成であっても演奏者同士が寄り添い、対話するように親密に音を紡いでいる演奏こそ素晴らしいものだと思います。しかしながら毎年、上位入賞を果たすのは大きな編成の学校だと伺いました。そして今年も実際にそのような結果となりました。
 

 ただこのことは、音楽とは少し違う次元の話であろうと思っています。強いところには人が集まる、このような人間の心理によるもので、名前が名前を呼ぶのではないかと思います。それを長く継続してきた学校が名門と呼ばれ、名門だからこそ更にそこを目指す人が後を絶たない、ということでこれは学校の部活動に限らず、世の中どこにでもある話なのではないかと思います。
 

 演奏する人数の偏りとそれに対する対応については来年以降、仕組みを変えるべきだという話し合いが持たれました。振興会の方々と私たち審査員で協議を重ねたことで、今後よい方向に是正されていくことを願っています。
 

 全国高校マンドリン合奏コンクールにおける一つの特徴かと思いますが、各学校のアンサンブルに必ずしも指揮者がいない、もしくは顧問の先生ではなく生徒さんが指揮をする学校もありました。このことはアンサンブルというものの本質に直面することとなりますが、演奏者が真の意味で能動的に音楽を作り上げることができる場合指揮者はいなくてもよいですし、演奏者の自主性を重んじることから実際に指揮者を置かないオーケストラは世の中に多数存在します。そうであっても指揮者の存在により音楽的な深みが増し、密度の濃いアンサンブルになることも多々あります。どちらがよいといえませんし、実はこれはとても次元の高いところでのお話です。高校生のアンサンブルには指揮者がいた方がよいのではないか、そう思う場面にこの度のコンクールを通して何度も遭遇しました。
 

 生徒の皆さんの演奏の質は、そのまま指導者の指導力の裏返しとなり反映されます。評判の顧問の先生が赴任した先の部活動が突然コンクール等でよい成績を収めることは、吹奏楽ではよくある話です。指揮者は「振る」という作業によって、音楽という目に見えないものを視覚化するのが主な役割になりますし、そのための指揮法というものが存在します。但し指揮法に秀でていても楽譜の読み込みが甘ければよい音楽にはなりませんし、逆も然りです。また、学生よりも顧問の先生が絶対的に指揮者としての指導力に優れているとも限りません。この辺は本当に難しいところですし、指揮者のあるなしが両方混在するコンクールで賞を付ける難しさは、ここにもやはり存在しました。私自身が指揮者なので余計にそこは強く思ったのかも知れません。
 

 最後になりますが、高校生の皆さんの青春の1ページが凝縮されたような時間を審査員として共有させていただいて胸が熱くなると同時に、皆さんが部活動にかける思いはどれ程のものだろうかと私は考えていました。この後の皆さんの人生において音楽を一生の友として楽器と付き合い、音楽に関わっていく人の割合はどれほどかと想像せずにはいられませんでした。高校生の間3年くらい楽器をやっただけでは音楽の真髄を極めたとは到底いえません。極端な話、その入り口に到達したかどうかすら疑わしい。コンクールでの結果やそこでの経験はまだほんの触りの部分、スタートといっても過言ではありません。楽器を続けて、たとえそれが細く長くであっても向き合っていくことは、真の意味での音楽の面白さに近づく一つの手段であるし、そのような努力を重ねる人たちに対して、音楽は決して裏切ることはないでしょう。何か一つでも楽器が弾けるということは、人生における宝物です。今回コンクールに出場したこと、頑張ったこと、仲間達と素晴らしい時間を共有できたことによって、皆さんにこの気付きを得ていただきたいと強く感じました。
 

 私自身は、次世代を担うマンドリニストを育てるプロジェクト、ジャパン・スーパーユース・マンドリンオーケストラ(JSYMO)を立案、主宰する立場から今回の高校生の皆さんの音楽への熱量が、どうやったら彼らのその先の人生に結び付くのだろうか、部活動への愛と情熱が、音楽への深い洞察と探究心に置き換わるのだろうか、そのために若い人たちにどうやったらよい音楽、その本質的なものを伝えられるのかということ、同時にこのコンクールとの連動性はどうしたら可能になるのか、ということを常に考えて2日間を過ごしていました。
 

 このためにも例えば大学のサークル、大人の楽団の合奏コンクールを行うことで全国の大学、一般社会人の楽団のレベルの底上げ、モチベーションの向上を図ることや、指導者たちが集まって指導力、音楽性、指揮法等のスキルを上げるための勉強会を行うことなど、まだマンドリン合奏の世界がもっとよくなるためにできることはたくさんあると思っています。それに、このコンクールは冒頭「全国から」と書いものの、北海道や東北、四国、九州、はたまた沖縄からの参加が少ないのは何故か、その辺の詳しい事情も私にはまだ分かりませんが、全日本高校マンドリン合奏コンクールと名打っている以上、それが本当の意味で全国のマンドリン合奏を始めたばかりの人たちにとっての目指すべき「甲子園」的な道しるべになるとよいと思います。
 

 最後の表彰式までご一緒させていただき、私自身吹奏楽の出身で、中学生の時、自分なりに命を賭けてコンクールに出場して頑張ったのがうまく結果に反映されず、ホール前の木の下で同級生達と大泣きしたこと、その時の悔しさをバネに翌年優秀賞(金賞)をいただき次のステージに進んだことなどを懐かしく思い出していました。私の音楽家への道の原点は、44年前のあの時のあの日のコンクールにあったといっても間違いありません。
 

 高校生の皆さんの、音楽やマンドリン合奏へのエネルギーが、先日のコンクールでのあの瞬間で燃え尽きて終わってしまわぬように、これが今私が一番大切だと考えていることです。全国高校マンドリン合奏コンクールが今後更なる発展を遂げていくために、微力ながらこれからも力を注いで参りたいと思います。
 
 

2026年8月13日
 
ジャパン・スーパーユース・マンドリンオーケストラ(JSYMO)主宰、指揮者
橘直貴