「二つの未完成交響曲」

新日響の皆さまへ

 新日響の皆さまとのブルックナーの交響曲第9番とのカップリングでの演奏会ということで、先日ステイホームされている皆さまに向けてブルックナーについての考察を書かせていただきましたが、今日はもう一つのシューベルトの未完成交響曲(第8番)についても考察を進めてみることに致しましょう。

 それにより今回取り上げる二つの未完成交響曲に一体どのような符合、または違いが見て取れるのでしょうか?
 演奏に向かう興味をより高めていただきたく、こちらも考察を試みてみました。

 あまりにも多くの人々に愛されているこのシューベルトの未完成交響曲は、当然のことながら僕もこれまで何度も指揮をして参りましたが、初っ端から3拍子の楽章が二つ続くことへの違和感と、交響曲の形式に従ってこの後メヌエットやスケルツォ楽章が続いたとして、更に3拍子の楽章が続くというこの交響曲全体のフォルムを一体どのようなものとしてシューベルトが想定していたのでしょうか?
 
 
「人間としてのシューベルト」

 ブルックナーの時と同様に、作曲家の人間性や性格を知ることは、創作活動そのものや自らの作品を取り扱う時の態度を垣間見ることができるので、改めて僕はこの機会にシューベルトについてのいくつかの資料を読み解いてみました。シューベルトを題材にした文献は数多く出回っているものの、31歳という若さでこの世を去った彼の人物像は、意外にもかなり曖昧なようです。それは一体何故なのでしょうか?
 理由の一つとしては、その短い生涯において実際に彼が何を話し、感じ、考えたかといったことへの記録や記述が驚くほど少ないのです。寡黙な人間であったのかも知れません。

 それでも限られた記録の中からシューベルトの人物像を想像するに、彼は内気で引っ込み思案な人間であったようです。加えて、事実として指揮者でも名演奏家でもない最初の大作曲家だったともいえます。
 シューベルトが協奏曲を一つも書かなかった原因は正にこの点にありますが、いくつかの記述に依りますと、彼は人生に多くを求めずその生活はボヘミアン的であり、自作がいつ演奏されるかには頓着することがなく、楽譜を書き飛ばすことで満足するような人物であったようです。

 音楽教育の点では王室礼拝堂合唱団の歌手となり、モーツァルトの仕事敵でもあったサリエリの教えを受けたシューベルトは、周囲の人々が驚嘆するほどの才能の持ち主だったことが分かっています。
 シューベルトが生きていた時代、当時を取り巻く社会情勢とは、市民革命と共に音楽がサロンを飛び出して市民階級に広がりを見せ始めた時代ともいえます。その新たに生まれた市民階級のことをブルジョアということは皆さまもよくご存知のことと思います。
 
 
「シューベルトとその時代」

 シューベルトが生涯を通じて親しくした人たちは、こうした音楽と芸術を愛する知的な中産階級、つまりブルジョワたちのグループだったのです。そしてシューベルトが滅多に貴族と交わらなかったことは、同時代を生きたベートーヴェンとの大きな違いでしょう。

 「シューベルティアード(デ)」というのは、シューベルトの作品だけを演奏するために、彼の友人たちがウィーンの各家庭で開いた夜の演奏会であることは有名な事実ですが、そのような友人の家でシューベルトは決まってピアノの前に陣取り歌曲、室内楽、連弾、ピアノ独奏曲が演奏されたとの記録があります。

 一方で、シューベルトは作曲家としての力量不足を自覚していたらしく1828年、つまり彼の死の年にジーモン・ゼヒターという対位法の理論家に教えを乞う手はずを整えました。因みに、このゼヒターは後のブルックナーの教師となる人物です。シューベルトがその後、病の床についてしまうこで、ゼヒターから対位法を直接習うことは結果として実現しませんでしたが、この事実が示すことは、対位法が織り成す作曲技法はシューベルトにとって終生不得意科目の一つであったということです。少なくとも彼自身にとっては着心地のよくない服のようなものであったのではないでしょうか?
 
 
「交響曲と歌曲、形式と叙情性」

 ようやくここで、あまりにも有名なこの未完成交響曲の話題に入っていくことができます。この作品はシューベルトが1822年から書き始め、結局第3楽章の途中まで書いておきながら放り出してしまった(といわれている)作品です。シューベルトは生涯において少なくとも14曲の交響曲を作ろうと試みていますが、その内の6曲が未完に終わっています。

 そもそも、交響曲とは何でしょうか?
 噛み砕いて説明するならば、ソナタ形式を持つ楽章を含む多楽章の形態を持つ作品、といえるでしょう。そう、ここでもまた形式の話が出てきます。対位法にせよソナタ形式にせよこのようなものは、シューベルトにとってはもしかしたら「よそ行きの服を着るような」ものではなかったのではないでしょうか?
 1824年にはシューベルトが敬愛していたベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」が初演されていますから、交響曲というジャンルの作品を携えることが、大作曲家としての仲間入りを果たすための必須条件であったのではないか?という推論が成り立ちます。

 シューベルトが後に歌曲王と呼ばれるに至った経緯は、そのジャンルにおける作品の分量が多かったことだけではありません。シューベルトにとって作曲の対象となった詩人の数は文豪ゲーテも含めて91人。そしてその歌曲の基本的な形は主に連節歌曲と呼ばれるものです。それは全ての詩節に同一のメロディーが用いられる形式ではなくて、劇的または叙情的な継続性が詩の始まりから終わりまで続くというものです。これはバラード形式をも思わせます。

 同時代を生きた劇作家フランツ・グリルパルツァーはシューベルトの歌曲についてこう語りました。

 
 「シューベルトは詩に響きを与え、音楽に語らせた。」
 
 
 事実シューベルトの歌曲、つまりリートは長短、叙情的と劇的、単純と複雑など極めて多様でありつつも交響曲に比べて短時間の内に人を感動させることができました。そしてそれをより特徴的にしたことは、シューベルトの最も優れた才能の一つでもある美しきメロディーの泉、また転調の素晴らしさともいえるものでした。

 リートにおいてシューベルトの才能がいかんなく発揮される中で、交響曲のようなソナタやその中で使われる対位法といった形式ばったものは、シューベルトが根本的に持つ叙情的本能と時に対立したのではないかと僕は考えます。シューベルトにとっての交響曲とは、自らを形式という名のコルセットに閉じ込めるための着心地の悪い服、もしくは納まり切らない器であったとは考えられないでしょうか?

 未完成交響曲のスコアは、1822年の内にシューベルトからアンセルム・ヒュッテンブレンナーに渡されました。それは、シューベルトを名誉会員に選出してくれたグラーツ音楽協会に献呈するためで、ヒュッテンブレンナーという人は、この時の献呈の伝達役であったといわれています。そして、何故この作品が未完成なのかというのは、実は未完成だったのではなく、このヒュッテンブレンナーが第3楽章、第4楽章の楽譜を紛失したという説が現在に至るまでに極めて有力です。

 しかし待てよ、と僕はここで思うのです。シューベルトは未完成交響曲として現在残されたこの二つの楽章を、元々本当に一つの作品として想定し書いたのだろうか?と。
 何故ならば、二つの楽章の性格があまりにも音楽的にかけ離れていること。前述のように、どちらの楽章も3拍子が取られており、このことは交響曲としての全体の構成を考える上でどうしてもアンバランスといわざるを得なく、僕にはそのことがどうにも腑に落ちないのです。

 ということは、シューベルトはそれぞれの楽章を独自の叙情性に満ちた単一の幻想曲、もしくはソナタとして書いたのではないか?そしてその中身とは、シューベルトが内容と自らの形式の融合に成功し、あたかもベートーヴェンのソナタがベートーヴェンにとって完璧な表現の方法であったのと同様に、完全なシューベルト型ソナタというべきものを完成させた瞬間ではなかったか?とさえ思えるのです。
 何度も書きますように、この作品が多くの人々に愛される理由は何なのか?
 その答えは、ここまで重ねてきた考察や推論と共に、作品の中にあるその先の時代を予見させるロマン派的な叙情性にあるといえましょう。
 
 
「旋律線におけるソノリティー」

 もう一つ、第2楽章冒頭の旋律はベルリオーズの幻想交響曲における第3楽章「野の風景」においてコールアングレとオーボエが呼び交わす旋律、曲調ともかぶります。未完成交響曲の第2楽章は、正に牧歌的ともいえる雰囲気の中でスタートするのです。シューベルト、もしくはベルリオーズがどちらかの旋律をパクったか、とかそのような話ではありません。西洋における牧歌的な風景を表す旋律に限らず、描写的な音の配列は元を辿れば同じものになるのではないか?という推察です。

 今回取り上げるブルックナー、シューベルトに限らず、鳥の鳴き声や自然の描写、はたまた軍隊ラッパの響きや神話や聖書の中の物語における象徴的な物事や物そのものに対して、西洋の人々が想起する音の配列は、時を経ても同じである、もしくは極めて似通っているのではないでしょうか?そしてそのイマジネーションは、残念ながら極東に住まう私たち日本人には想像できないものなのではないか?一方で私たち日本人にも心の奥底に眠っている、日本の風土にまつわる音のソノリティー、メロディーがあります。西洋の人々におけるそれらとは形は違えども、人間には昔から伝わる音の記憶があるとは考えられないでしょうか?
 
 
「おしまいに」

 ブルックナーの未完成交響曲(第9番)は完全なる形からの引き算によりこの形になりました。というか、この作品が作曲家の死と引き換えに引き算せざるを得なかったのに対して、シューベルトの未完成は全く性格の違うものを足し算していった結果、未完成な交響曲としてこの世に残されたように思えます。このように捉えると作曲者、作品、そしてそれらを取り巻く音楽家の社会的な立ち位置というものまでが改めて透けて見えるようで、とても興味深いのではないかと思います。

 同じ未完成であっても、その方向性は真逆ともいえる二つの未完成交響曲が一つの演奏会で堪能できる。
 僕がブルックナーの考察の際にとても素敵なプログラムだと思います、と書いた真意は正にここにあります。 
 
2020年6月25日
指揮者 橘直貴