弦楽グループ「ひととき」が、創立30周年を迎えました。当時お茶の水にあった「カザルスホール」が主催するアンサンブル演奏会のための応募に録音を提出したところ、見事審査が通りそこでの出演が叶う中で、事前に演奏を聴いてアドヴァイスをもらいたいと頼まれたことがきっかけで「ひととき」との長いお付き合いが始まりました。

 
 
 その時僕は音楽大学を卒業したばかり。右も左も分からぬまま音楽活動を始めた僕にお声を掛けてくださったのは、今も昔もさまざまな学びをくださる戸田幸子さんでした。以来、戸田さんご夫妻をはじめ「ひととき」の皆さま方には30年にも及ぶ親交とご縁をいただいていることになります。
 
 
 留学により何年かブランクがあるものの、これまで「ひととき」を指揮させていただく中で毎回変わることがないのは、演奏会に向けての日々の練習をコツコツと積み重ねていくストイックともいえる姿勢、その結果ともいえる本番当日の心躍るような高揚感です。一方で「ひととき」だからと毎回足を運んでくださる方も多くいらっしゃいます。客席とステージの空気感がよい具合に混ざり合い醸し出される会場全体のあたたかな雰囲気、これだけはメンバーが入れ替わろうとも30年間「ひととき」として不変のものであると僕は感じます。
 
 
 日々の練習の道のりは実に地道な作業の連続で、演奏に携わる人は誰しも本番のステージで浴びるスポットライトの明るさ華やかさと、そこに至るまでの地味な時間とのギャップを知っています。リハーサルを充実したものにするための個人練習というものも必要で、音色、音程感、ボウイング、指使いから弓の使い方まで、よい演奏のための課題が実に多く存在します。が、音楽の追求の方法や求めるものは演奏者によって千差万別です。結局のところ、自分がどのような音を出したいか、どんな音楽をしたいのかということでそれぞれの音楽性が決まり、突き詰めるとそれは個々の人間性そのものではないかとも思うのです。
 
 
 ”どんな音を聴かせてくれるのだろう”、”どんな演奏になるのだろう”という期待を毎回着実に積み重ねて今日に至る「ひととき」。練習することが楽しくないとここまで続かないのではないかと、皆さんの探究心や学びに対する意欲とその深さに僕も毎回頭が下がる思いです。一つのことができたら次のステップへの欲求が生じ、それを追いかけている内にあっという間に本番当日が来てしまうというのが「ひととき」の日常です。
 
 
 コロナ禍に翻弄される中、どうやって活動を継続していこうかと頭悩ませるのはどこの音楽団体でも当たり前のこととなってしまいました。「ひととき」は慎重に対策しつつ練習を重ねてきました。未だなかなか収まらないコロナの感染状況、加えて最近は国際情勢など、やるせなく暗い気持ちになることばかりですが、せめて音楽を奏でること、またそれを聴いていただけることで明日への活力が生まれるなら、音楽の存在は決して無駄ではないと感じます。
 
 
 30年という歳月、僕の音楽活動のキャリアに正に足並みを揃えるごとく「ひととき」の歴史は、僕の音楽人生そのものではないかとすら思います。今後に繋がる一つの節目として、今日このステージに乗っているメンバーの皆さんと素晴らしい時間を共有できるよう最善を尽くしたいと思います。同時に、これまで「ひととき」に参加されながらやむを得ない事情で退団されたメンバーの方々の面影を懐かしく思い起こしています。機会あらば是非戻ってきていただきたいものです。
 

 徒然なるままに振り返ってみましたが、いざ本番となれば、過去を懐かしむよりも未来に向けてよいパフォーマンスを表現することに集中したく思います。これからの「ひととき」の活動にエールを送りつつ、これからも頑張っていきたいと思います。
 
 
 今日もようこそお越しくださいました。最後までごゆっくりお聴きください。

 
 
2022年4月23日
指揮者 橘直貴