皆さま、明けましておめでとうございます。
今年も一年、皆さまにとりまして健やかで幸せな一年になりますように心からお祈り申し上げます。

本当は昨年末にブログを更新しようと数ヶ月前から少しずつ文章を書き溜めてきたのですが、年の瀬、文章を打ち込み保存しておいたiPhoneをトイレで水没させてしまったこと、また、それにより機種を新しくして再び打ち込み始めた文章が、何らかの理由でサーバから削除されてしまったようで理由も分からずに消滅してしまって、度重なるハプニングにガックリと肩を落としておりました。年明けに何とか、気力を取り戻し一から打ち直しております。

 

心から感謝しております…

僕は貧乏性なためか、暇なよりは忙しい方が自分がずっと生き生きすることか分かっているのですが、その意味でも昨年はたくさんの演奏会をいただいてとても楽しく充実していたなと感じます。とてもありがたいことです。たくさんの方々に支えられ応援していただくことで、一つ一つの演奏会が、演奏する方々のみならず、裏方さんや聴きにきて下さる方々、皆さんのあたたかな視線や思いとも相俟ってよい演奏会を重ねることができました、そのことに心から感謝しています。この場をお借りしまして、皆さまに感謝の言葉をお伝えしたく思います。僕自身、まだまだ自分に甘いなと思うところばかりで、これからそこを何とか克服していきたいと気持ちを新たにしています。

たくさんの演奏会を素晴らしい仲間と共有させていただきましたことは書きましたが、具体的な一つ一つの演奏会について何かを書こうかどうかあれこれ迷いましたが、感動や思いは言葉にせずに自分の心の中にそっとしまっておいた方がよいとも考えて、今回この欄には書かないことに致します。ご了承下さい。

 

「もの」に関して最近感じること…

ところで皆さん、「茂木和哉」という商品名の洗剤をご存知でしょうか?
テレビなどでも随分紹介されているし、僕はこう見えても結構綺麗好きで、よく東急ハンズなどでトイレやお風呂、流し台などのホームケア用品を見ており、目についた商品は買って試すことが多いので、この「茂木和哉」にも以前から注目していましたが、とうとう買ってみることにしました。結論からいいますと、これ、素晴らしいですよ。台所のシンク、お風呂の水アカ、一発で落ちます。こする必要すらありません。皆さまに是非オススメの一品です。

 

ヴィオラ・ダ・ガンバのケースを塗り直しました…

昨年夏からいろいろと考えて、ヴィオラ・ダ・ガンバのケースを塗り直しました。
買った時から少しずつ小さなキズが増えてきて、これをどうしたら補修できるか、と思い始めてヤスリ、タッチペンなど自分でできることはやってきたのですが、とうとうもっと完璧に直したい、と思い立ちまして、まずはネットで自動車の板金塗装の専門店にいくつか当たってみました。塗装は下地に塗料を吹き付けて、上からクリヤを吹く、その塗料やクリヤの素材や色はもちろん様々なのですが、その工程はどのようなモノとてそんなに変わりはないのです。以前から、僕が尊敬する自動車評論家の福野礼一郎さんの著作に触れていたことも、僕が塗装について関心を持つきっかけとなっていました。がしかし、クルマの板金塗装の工場では楽器のケースの補修、塗装は当然のことながら行っていないとのこと。何故ならば、クルマよりも下地が薄く塗るのが難しいこと、また何よりも設備が整っていないとのこと。その背景には、失敗したら代わりの部品などが調達できずに困るという工場側の都合も透けて見えます。

ケースにせよ何にせよ、塗装を直すのは、上のクリヤを研磨してクリヤだけにキズがついているのなら、そこを磨く、削ることで表面のキズを消すことができますが、塗装面にキズが入っている場合、研磨する面は塗装面に及んでしまいます。更に傷が下地にいってしまっている場合は、クリヤを一旦剥がし、下地に、或いは塗料のキズの部分にパテを塗るなどして面を均一にした上で塗装をやり直し、更にその上からクリヤを吹き直す。それが、キズの周辺だけで済めばそれでよいのですが、補修した部分だけが何となく周囲と違ってしまうということは往々にしてあることです。このことは、僕が幼い頃プラモデル作りを通じてからも学んだことです。

今回のガンバのケースの補修に関して、インターネットで調べていたら、とうとう見つかりました。東京都は大田区にある、何でも塗ります、という小さな会社。早速そこに連絡をしてケースを抱えて行ってみました。高畑さんという方が基本一人でやっておられるその会社、高畑さんにお目に掛かった瞬間僕は、あ、この人凄い人だと分かりました。拘り方がハンパない。技術と腕前は確かなような気がしたのでお願いすることにしました。

結局のところ、高畑さんとのお話の中で、補修するには一旦全部のクリヤと塗装を剥がさなくてはいけない、ということで下地を磨いて再塗装することになりました。僕のケースはカーボン製なのですが、高畑さんに言わせると元々の塗装は質があまりよくない、その証拠に塗装が乾いてくると、下地のカーボンの模様が塗装の下から浮き出てくる。実際、塗り直す前のケースは確かにそのようになっていました。そして、結局そこまでの作業をやるのなら、色も好きな色に塗り替えましょうという話になりました。たくさんの色見本をお借りしてから日にちを費やすこと約4ヶ月。遂に、素晴らしい世界に一つだけのケースが出来上がりました。今度は、もったいなくて外に持っていけません、それこそキズでも付いたらどうしよう(笑)。本末転倒かもですが、今はキレイになったケースを入れるケースをどこかで探そうかと思い始めています(笑)、、やれやれ。とにかく、今回の塗装、やってみてよかったです。勉強になりました。
高畑さんの会社、プロ・フィットさんの連絡先はこちら。
小物の塗装専門店 プロ・フィット
それにしても、皆さん随分いろいろなモノの塗装を依頼するものです。

 

楽器のケースの塗装のことを長々と書いてしまい恐縮ですが、一つのことを視点を変えて考えてみることは、なかなか楽しいことです。例えば鉄です。鉄は原料の鉄鉱石が主に鉄と酸素からなる安定した状態にある酸化物です。この鉄鉱石から酸素を分離させてできたものが鉄。ではこの鉄が錆びるとは、どういうことか?普段私たちが何気なく見ている錆びは、この鉄は空気中の酸素、水分などと結び付いて元の安定した状態の酸化物の状態に戻ろうとする、これが錆びるということです。

このことを知っていれば、自分の持っているものを錆びさせないようにするにはどうしたらよいか、という考えにも至るだろうし、手に取るそれぞれのものは何でできているだろうか、と素材のあれこれを考えてものを手にすることにも繋がるでしょう。自分のものをとても大切にする僕からすると、絶対に錆びなどの劣化を起こしたくない大切なものは、鉄を使っていない同じものを探そうかという気になるかも知れません。更に一歩進んで、あるものを見たときに、何故ここにこの素材を使って形状をこのようにしているのか、など、製作者の意図や思想、大げさにいうならば哲学のようなものにも思いを馳せることができるようになるのではないかと思います。僕などまだまだ知らぬことばかりですが、こうやってものを観察し、単に良し悪しではなく、自分に合うもの、そうではないものの区別をつけていけるとよいと思う今日この頃です。

 

本当の国際化って…

2020年の東京オリンピックに向けての、日本国内での盛り上がりようは、普段から東京などにいますと多少なりとも肌で感じることができます。オリンピックの公式エンブレムにせよ、千駄ヶ谷の新国立競技場の建て替えなど、迷走を続けている案件も多々あるようですが、何でしょう、人々が2020年に向けて、とか、オリンピックの年までに、みたいなことをおっしゃいます。そしてマスコミがそのような気分を大いに煽り立てる。しかしそれでは果たして、2021年以降の東京は、そして日本はどうなるのか?東京はオリンピックの反動でしぼんでしまうのではないか?と、天邪鬼な僕は少し心配になります。オリンピック、オリンピックと浮かれたり、それだけを目標にせず、冷静に世の中を見つめる視点も必要なのではないかな、と感じることが多いです。また、マスコミはそんなに人々の気持ちを煽るだけ煽ったり炊きつけたりしないでいただきたいと、僕などは思うのですが。

日本の街を闊歩する外国人がここ数年で物凄く増えました。もはや街を歩いていて外国語が聞こえない日がないほどです。爆買い、なんて言葉もこの世の中に定着してきました。このまま日本はどこへ向かうのか?外国人観光客は増え続けるのでしょうか?戦前、戦中、そして焼け野原からの復興、経済成長と言われた時代からバブルの時代、バブル後の日本のいくつもの時代の中で、何となく人々の気持ちが醸成する時代の雰囲気、みたいなものがあると思います。それぞれの時代は、そのような空気感によって随分違うのでしょう。そしてその時代の空気は、後になって言葉としてイメージされるのではないか?と思いますが、今を生きる私たちは、ただひたすら一生懸命に今を生きるしかないのかな、と思います。

 

一生懸命に生きていかなくては…

ここに、このことを書こうかどうかとても迷ったのですが、中学時代の同級生で吹奏楽部の時の親友の一人が、くも膜下出血により寝たきりになっている、と聞いたのは、12月27日の演奏会の終演後、ロビーでいつものようにご挨拶させていただいている時に、本当に久々に会った中学時代の吹奏楽部の後輩からでした。大晦日の日に、彼の病室を訪ねました。そしてそこには、同じく吹奏楽部の先輩、同級生の仲間が7人、集まりました。変わり果てた寝たきりの彼の姿を見て、僕は言葉を失いました。彼が4年前に倒れたことも初めて聞きました。同級生や先輩の仲間は彼のことを知っており、僕だけがそのことを知らなかった。

病室にて彼のお母さまにも久々にお目に掛かることができました。懐かしかった。
彼は寝たきりになってしまい、彼のお父さまも昨年ガンでお亡くなりになってしまったことも聞きました。お母さまは随分と寂しい思いもされたと思いますし、辛い苦しみも乗り越えてこられたのだなと思うと胸が潰れる思いでした。同級生と先輩の仲間の皆んなは、一昨年のクリスマスに、彼の入院する病院のロビーで演奏会を開いたことも聞きました。彼はそれを聞いて涙を流したということも聞きました。彼は今、お母さまの呼び掛けに応じて視線を動かしたり、僕らがお見舞いに行った時も一人一人の姿に視線を向けたりする。

僕にとってはかけがえのない中学時代の吹奏楽部。ホルンを始めたのも指揮というものを見よう見まねで始めたのも僕にとっては全部、あの時代でした。あの時、あの時間を一緒に共有した仲間にしか分からないあの時の空気や熱気、それは自分の中でも大切な思い出となっていて、それが今回最高に幸せな方法ではないかも知れないけれど、彼が同級生や先輩方と僕を久々に引き会わせてくれたのかも知れない。病院を後にした僕は、久々に訪れた僕が高校時代までを過ごした土地、育った家があった場所から毎日の通学路の道、中学校、そして仲間とよく遊んだ場所などを訪れてみました。断片的だった記憶が、少しずつ蘇ってきて繋がるごとに涙が止まらなくなりました。その日はあまりにも衝撃的なことがあり、感傷的になっていたのかも知れません。

昨年も、僕自身は大きな病気をするでもなく元気に過ごせたこと、そのような丈夫な身体を親が与えてくれたことを感謝せずにはおれません。指揮者という職業である以上、どんなに熱があろうが体調が悪かろうが、這ってでも現場には行かなくてはいけません。実際にそう教え込まれました。それもあるので、僕は自分でいうのも何ですが、体調の管理には割と気を配っています。ただ、僕が産まれた時から丈夫だったのかというと、そんなことはなかったらしく、僕は母のお腹の中から逆子として産まれたらしいです。そしておまけに、涙腺がつまるという病気を抱えていたらしい。母はそんな僕を毎日毎日おぶって病院に通ったそうです。また、随分と後になって聞いた話ですが、僕には流産してしまったお姉さんがいたらしい。そんな会ったことすらない肉親の分まで一生懸命に生きなくてはいけないと思います。

様々な出来事や悲しみを乗り越えて、両親を含めていろいろな方々に育てられ、生かされていきた自分を思わずにいられません。今だに元気で好きなことをやっていられることに感謝しながら、その気持ちをご一緒する縁奏者の皆さんや友人、お客さまに何とかお返しできるように頑張らなくてはいけない、改めて強く感じた年末年始となりました。年齢を重ねる毎に涙脆くなる自分がいます。昨年何度一人泣いたことか、そして今年もどんな理由であれどれだけ涙することか。今年は東日本大震災から5年、またチェルノブイリの原発事故から30年という年です。罪もなく被害に遭われた方々や、今も苦しみを受けていらっしゃる方々が今もこの世のどこかにいるはずです。その方々の経済的な支えや心の回復を願わずにはおれません。いえ、心の回復を願う、などといえるのは実際に被害に遭っていないからいえるではないかと思います。同時に、僕や仲間の音楽家が何をできるか、そのことを考えながら活動をしていきたいと思います。

 

がんばっていっぱい微笑みますね…

「微笑むって大切です」。とても素敵な言葉だと思いませんか?
これは昨年12月に彦根で行われたベートーヴェンの第9演奏会で、合唱団の方がその演奏会の数日後、僕のホームページにとてもご丁寧な感想を寄せて下さった中に書かれてあった言葉です。その方は、本番の演奏前後の入退場の時に、舞台裏に佇む僕とすれ違ったのだそうです。その時に僕がその方に微笑んだのだとか(ご免なさい、覚えておりません、、、)。その方は一人の合唱団のメンバーとして、その時は僕に直接声を掛けられることを躊躇われたようですが、その後ホームページにメッセージを下さいました。そして演奏の感想と共に、僕が微笑んだことがとても嬉しかったと書かれてありました。そのメッセージが、僕にはとても嬉しかったです。そして、微笑むことは大切です、ということは、僕も本当にその通りと思いました。確かに、敵意や疑いの気持ちを持っている相手には人は微笑まないものです。どんな時にでもどんな人にでも微笑むことかできる自分の気持ちの在り方を、いつもよい状態にして準備しておくということは大切なことなのではないかな、と感じました。いただいたメッセージがとても嬉しかったので、この言葉を、ブログの中で紹介させていただきます。

今年もまた、どんなことが待っているか分かりませんが、真っ直ぐ前を向いて頑張っていきたいと思います。
皆さんも素晴らしい一年となりますように。今年もよろしくお願いします。
間があき過ぎない時間に、またお便りしようと思います。