曲がりくねった一本の長い道。果てしなく続く緩やかな登り坂。それは、時に登っているのかそうでないのか分からなくなるくらいの緩やかな登り坂。一つのオーケストラの歴史とは、このようなものではないだろうか?そこに関わる人たちの人生のドラマを乗せて、オーケストラはゆっくり着実に進み続けてきた。時に迷いつつ、しかし確実に。

 東京楽友協会交響楽団(以下、楽友)は、今日で100回目の定期演奏会を迎える。これは物凄い歴史だと思う。思えば、まだ大学生の時に、初めて楽友の練習にお邪魔させていただいた最初の日のことを、私は今でもよく憶えている。その日から楽友とは、トレーナーとして、指揮者として息の長いお付き合いをさせていただいてきた。私にとって初めて指揮をさせていただいたオーケストラは、この楽友だった。その時からずっと時をあけずにご一緒させていただくことで、特に昔からいらっしゃる楽友の演奏者の方々は、私の成長をずっと見守ってきて下さった。楽友の皆さんは、もはや私にとって一緒に戦ってきた戦友のようなものだ。

 楽友は、毎週こつこつと真面目に練習をする楽団である。愚直なまでに、という表現を使ってもよいと思う。その積み重ね、そしていかにすればオーケストラがよくなるかという、メンバーの方々の試行錯誤の上に、たくさんの方々がこの楽団に発展に携わってこられたと思う。楽団のためではないのかも知れない、自ら音楽を奏でる喜びのため。しかし常にそこにはかけがえのない仲間がいるからであったろうと思う。オーケストラはいろいろな価値観を持った人の集まりである。まさに社会の縮図。世の中がそうであるように、オーケストラ、ひいては音楽というものの捉え方だって人それぞれであろう。そんな多様な価値観の坩堝の中で、一つの方向性を見出して維持していくことは、決して容易なことではない。

 数多の価値観や欲求を受けとめながら、楽友は東京、いえ日本のアマチュアオーケストラの老舗の一つとして見事な発展を遂げてきた。私の見るところ、特にここ数年のこの楽団の音楽的な成長は目を見張るものがあると感じている。更によいメンバーが定着し緻密なアンサンブルを作る体制が築かれてきたのであろう。

 25年ほど前のある日、私にこの楽友の練習に行くように、という指示を下さったのは、楽友の当時常任指揮者であった私の指揮の師匠、紙谷一衛先生だった。先生は私にオーケストラを指揮する経験を積ませるためにそのチャンスを下さった。数年後、私は師匠の元を飛び出してしまった。師匠の教えに疑問を感じたからだったが、今考えるともう少し別の飛び出し方があったかも知れない。私は若かった。そのことを師匠であった紙谷一衛先生にお詫び申し上げたいと長らく思ってきた。

 楽友にとって節目となる今日の演奏会の指揮を任されたことは、責任重大ながらとても光栄なことだと感じている。と同時に、楽友の第101回以降のこれから連綿と重ねられていくであろう100回のステージに向けて、今日の演奏会がどんな意味を持つのか、新たな襷をつないでいけるのか、そして今後どのように世代交代を果たしていけるのかということを考え、楽友の未来に私がどう関わっていけるのか、ということを感じつつ試行錯誤しつつ練習を重ねてきた。

 最初に書いた、果てなく続く長い一本の曲がりくねった道とは、これはまさに人の一生そのものであろうと思う。オーケストラとは人の作るもの、それぞれの方々の人生がオーケストラの性格に色濃く反映していく。まさに、オーケストラは生きている。

 本日、この記念すべき楽友の第100回目の演奏会に、ようこそお越し下さいました。今日の演奏会が、楽友の新たな歴史に向けての大きな第一歩となることを願っております。ゆっくりと最後までお聴きいただいて、これからの楽友の益々の成長にご期待いただき、今後も引き続き熱い視線を注いでいただければと思います。ご来場、誠にありがとうございました。

2016年
4月3日
指揮者  橘直貴