朝倉の街に第九が響くようになって4年目を迎えます。継続は力なりという言葉を思い起こさせますが、演奏会というのは、参加される方々の準備や日々の生活の合い間を縫っての練習、そういった一つ一つの多くの積み重ねの結果でありましょう。そのような努力を重ねることができるのも、共に歌い音楽を奏でたい指導者や仲間がいるから、そして何よりもそこに素晴らしい音楽があるからであろうと思います。歌おうと思ったら歌える環境がこの朝倉にあるということが何より素晴らしいことです。

 音楽の力というものを今更のように強く感じます。音楽を聴いて人は元気になる、表情は明るくほころび、明日もう少し頑張ってみようか、という気持ちになるでしょう。私もこれまで幾度となく音楽に支えられ助けられてきました。多くの方々に勇気を与え、音楽を通じて共に頑張ろうと投げ掛けることの大切さ。今年、熊本・大分県を中心に襲った熊本地震、そこで被災された方々、そしてその後の追い打ちを掛けるが如くの大雨の被害に希望を失いかけた方々に対し、私たちに何ができるのか?

 ただ一方で私はこのようにも考えます。笑顔を届けたい、元気になってもらいたい、というメッセージは、もしかしたら与える側のエゴではないか、と。絶望に打ちひしがれた人々には、恐らく笑う気力も残っていないことでしょう。私たちは、そのような被害に遭われた方々に手を差し伸べ、できる限りのことはしなくてはいけないと思います。しかし、一方でお仕着せの親切や同情を押し売りされて嬉しいのだろうか?それよりも、元気な人たちが素直に生きる喜びを表現し、自分の没頭できるものに命を賭けるということも世の中に対してできる応援の一つの形なのではないかと思います。

 こうして好きな音楽を好きな仲間の皆さんと共に作れることに、私は心からの感謝の気持ちを捧げています。私はたまたま音楽を職業にしておりますが、そこにはプロもアマチュアの括りもないでしょう。そして聴いて下さるたくさんの方々がいて下さる。よかったよ、と言って下さる。何と幸せなことでしょう。若い時分の私は、自らのことに一生懸命、ただひたすらにやみくもにがむしゃらにやってきた。しかし今は、向かうべき演奏会の一つ一つが自分の人生においてどういう意味を持つのだろうか?どうして今ここで自分は、指揮することを求められているのだろうか?共に演奏する仲間、それを聴いて下さるお客さま方とのご縁は、どのように生まれ、育まれ、今後どのように発展するのだろうか?その結果、今日の演奏会というものは、今日ご一緒した方々の運命にどのような思いを残し、その先のどのような未来に繋がっていくのだろうか?ということを考えます。こう考えますと、いい加減な気持ちでなど演奏に向かえるはずもありません。

 例えばその日そこで出会う方々とは、偶然出会うのではなく、そこには私たちにとって目には見えない何か大きな力が働いているのではないか、私は常に感じています。あなたの人生と私の人生が今日ここで交わる、接点を持つ、その意味や理由を深く深く考えながら、音楽を奏でられることの喜びを音に乗せ、最高の形で伝えていくのが、私がこれからも一生をかけて取り組んでいくこと、音楽をすることの目的なような気がしています。その思いを、今日は「あさくら第九」参加者の皆さん、ソリストの皆さん、そして私にとって世界で一番信頼のおける仲間「コンセール・エクラタン・福岡」の皆さんと共有していきたいと思います。今日の結果が、その次の演奏会、素晴らしい未来へと繋がっていくはずであろう、そう信じて。

 本日もようこそお出で下さいました。朝倉でのこの演奏会の開催を、これからもあたたかな心とお耳で応援いただけましたら幸いでございます。最後までごゆっくりお聴き下さい。ご来場誠にありがとうございます。

2016年8月28日
指揮者  橘直貴